とりあえず何か書かなくては、という魂胆なのは否定できない。


昼過ぎに起きてしばらくゲーム。ゴミ暮らし。
16時台に調布の宇奈ととで1日遅れのうなぎを食べる。700円のうな重は美味かったが空きっ腹には少々物足りない量だった。
渋谷でバイト。Webで家庭教師ができる時代です。トラブルで向こうの顔映らなかったけど。

構造主義のレポを書かなければならないのでそれ用の本を探していたはずが、なぜか島田雅彦『小説作法ABC』を購入。そのうち読む。小説はそのうち書く。
こう言い続けて2年くらい経ちました。


それこそ去年の9月くらいから、駒場祭があって、新歓統括があって、五月祭も少々あって、と休日もずっと駒場に通いづめな生活を送ってきましたが、最近もう一度駒場祭に戻ってきてからは少し落ち着いています。
最初の駒場祭の頃は熱に浮かされるような感じで入れ込んでいました。
新歓統括ではまがりなりにもそれなりの役職についていました。
それがひと段落して五月祭を手伝う頃にはもうすでに佳境でした。

今度の駒場祭は……。


おっと愚痴はそこまでだ。
書くことで救われることも多分にありますが、まだ救いを求めるほどには参ってはいませんし、何より救われる代償として「自分」が固着してしまう。
曖昧な不快感は曖昧なまま消えるのを待つのが誰も憎まないコツなのだと最近知りました。
それが正しい生き方なのかは解りません。


結局このブログで何をやろう、とぐだぐだ考えていたのですが、大学入学以降、特にここに書き切れていない去年の5月と8月以降ずっと、その間に起こったことをありったけ書いていくのもアリかもしれないな、と思いました。
それが面白いものになるかは自分次第。日常を切り取る、とはそういうものです。



それでは、パワプロしてきます。